同情と心配の境界2010-05-11 Tue 02:42
私は心配されるのは苦手です。同情されるのは嫌いです。
嫌いと苦手は違います。 同情と心配も違います。 心配されるのが苦手なわけは、心配してくれる相手の表情が暗いことが多いから。あぁ、私が笑顔を奪ってるんだなぁ……と思って、胸がきゅぅってします。 いろんな人に心配をかけてきた人生でした。 多分これからも、誰かに心配をかけてしまうでしょう。 心配をかけないよう、精一杯の努力はします。けれども、やっぱり生きている限り、誰かに心配はされると思います。 同情は嫌いです。 薄っぺらい、そんな気がしてしまうので。 私はあなたを理解した。辛かったでしょう。悲しかったでしょう。大丈夫、私は分かっているから。私は理解しているから。 そんなことを言われたら、多分私は怒るでしょう。静かに怒るでしょう。 人の心が分かるなんて、錯覚です。感情や言動から推測はできますが、あくまでも推測です。その推測を勝手に確信に変えて、あたかも分かったかのように錯覚。 その人が体験した悲しみ、辛さ、そして喜びまでも、全てその人が体験したことです。 それを共有するかのごとく、理解しているよ、なんて言われたら……ねぇ。 というわけで、ふと昔を思い出して、こんなことを書きました。 うーん、同情が嫌いっていうよりは、あなたを理解しているよ、みたいな言葉が嫌いなのかな。 以前こんな感じのSS書こうとしたら、暗くなりそうだったのでやめましたw さてさて、体調はすこぶる悪いですから、寝ます。 良いるみゃが――じゃなかった、良い夢が見られますように。 |
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